パソコン修理で起業した団塊世代のオヤジ

パソコン修理 pcQ援隊 電話:029-878-3953
少年期、大手電気メーカー(30年勤務)を53歳で早期退職した後の
起業から現在に至る顛末記

起業後の方がより充実した人生かな? と感じる今日この頃

代表のメッセージ
前川 義一

 パソコン修理とデータ復旧を探して
 pcQ援隊に来て頂きありがとうございます。
 専門用語に頼らなくても理解できる笑顔の会話で
 トラブルを解決し、お客様(貴女)に喜んで頂こうと
 考えていますので、宜しくお願いします。

前川 義一 プロフィール

パソコン修理

ラジオ少年 芽生え ヒッチハイク ヒゲの社員時代 決断 早期退職と起業 ウルトラマラソン

2014年5月

シンガーソングライターの永井 龍雲 さんを
茨城県在住鹿児島県人会 に招致

2013年11月

ホームページ制作・基礎セミナー・牛久市商工会

2012年8月

「夢を実現できる社会人になるには」のセミナー
龍ヶ崎市・社会福祉協議会主催の
「高校生ボランティアスクール」の開校式にて

2010年11月

創業体験セミナー・古河市商工会

2010年9月

その道のプロに話を聴く 講師
龍ヶ崎市立 長山中学校にて

2010年8月

店舗移転(3回目・現在の店舗)

2010年7月

創業体験セミナー・古河市商工会

2010年5月

学校評議員・茨城県立 牛久高等学校 

2010年2月

ホームページ集客術・若手経営者の資質向上の講師
富山県南砺市商工会青年部福光支部 主催の講演会

2008年12月

フジテレビの 忘文(わすれぶみ) に出演
SMAPの稲垣吾郎さんが
出演者宛ての手紙の朗読後に対談する番組

2008年7月

ホームページによる集客術セミナー・牛久市商工会

2008年4月

アントレフェア・トークセッションへ出演
東京ビッグサイトにて

2007年7月

ホームページによる集客術セミナー・坂東市商工会

2007年7月

経営者の為の健康セミナー・牛久市倫理法人会

2005年9月

店舗移転(2回目・牛久市田宮町)

2004年8月

牛久市健康づくり推進協議会委員

2003年8月

パソコン修理 pcQ援隊 創業(牛久市中央)

2003年7月

RURI株式会社設立

2003年6月

ソニー株式会社 早期退社(30年間勤務)

1976年12月

マイホーム取得
(神奈川県川崎市〜茨城県牛久市へ引越し)

1973年5月

ソニー株式会社 入社
(オイルショック、為替変動相場制の年。)

1973年3月

千代田テレビ技術学校 退任

1970年5月

千代田テレビ技術学校 講師

1970年3月

法政大学短期大学部(夜間)電子工学科 卒業
(万博開催、日航よど号事件))

1968年3月

鹿児島電子工業高校 卒業
(鹿児島県谷山市)

1949年7月

鹿児島県 奄美大島に生まれる。
(湯川秀樹、ノーベル賞受賞の年)

前川義一

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7)ウルトラマラソン100キロ完走へのチャレンジ

マラソンの記録は、57歳から始めたウルトラマラソン を参照

生まれつき・スポーツは、水泳を除いて苦手で
徒競走はいつもビリで
スポーツが最も嫌いな少年でした。

そんなスポーツ苦手の団塊世代のオヤジが
突然、57歳のとき、
ウルトラマラソン100キロ完走に向けて
チャレンジを開始します。

マラソン

きっかけは、下腹ダイエットで始めた
有酸素運度運のジョギングです。
体重が落ちる・体脂肪が低下する
楽しみを味わっているうちに、
フルマラソン(42.195キロ)完走できそう?

もっと楽しくするには
42.195キロより、更に長い距離を走る
「ウルトラマラソンの100キロ完走」だと
スイッチが遂にオンになったのです。

ウルトラマラソンのチャレンジは、
普通、次のようなステップがあり
誰もが、実績を一歩一歩
積み重ねていきます。

1、10キロマラソン 完走
2、ハーフマラソン・20キロ 完走
3、フルマラソン・42.195キロ 完走
4、ウルトラマラソン(42.195キロ以上)

年齢的に、余り余裕の無い、私の場合(当時57歳)、
非常識で無茶なチャレンジに
挑む事になります。

中学・高校の体育の
マラソン経験を除くと、
一切のマラソン完走経験なし

たった3ヶ月の短い練習期間で
2006年10月14日に、
新潟県上越市で開催された
えちご・くびき野 ウルトラマラソン
50キロの部へ参加します。

残念ながら結果は、途中リタイアでした。
しかし、約38キロ地点まで、
6時間も走れたのです。

途中リタイアから9ヶ月後の
2007年7月に
福島県猪苗代町で開催された
磐梯・猪苗代ウルトラマラソン
60キロにチャレンジしました。

練習開始から、1年の短い期間の
2回目のチャレンジで、
遂に、ウルトラマラソン初完走です。

ゴールした時は
おもわず涙が溢れました。

初チャレンジで、無念のリタイアとなった
えちご・くびき野 100kmマラソン は、
208年10月、50キロの部に
再度チャレンジし、6時間37分で完走。

念願の100キロは、
更に、練習開始から5年後となる
2011年4月に愛知県常滑市で開催の
知多半島一周ウルトラ遠足に
初チャレンジの1回目で
15時間50分の完走。

このようにスポーツと縁の無かった
中年男(団塊世代のオヤジ)が
短期間で一見、無謀な
チャレンジをしたのですが

目標に定めて、行動することで
100キロのウルトラマラソン
完走に辿り着きました。

ウルトラマラソンは、
肉体を支配するのが脳で無く、
筋肉であることを
実感・体験できるスポーツです。

いくらマラソンの練習をしても、
当日の気象現象・天気や、
自分の体のコンディションなど
複雑な要素が影響し合い
思い通りに事が運ばない。

このように目の前で起きる
ハプニングや事件に対する
問題解決能力が試され
会社経営の参考になります。

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6)ソニー早期退職から創業後の現在へ

30年間に及ぶ
サラリーマン生活において、
サラリーマンを必ず卒業し
ビジネスを起業すると、
決めていました。

決心する事で
起業に向けた行動は、
自然に始まります。

最初の行動は
東京都商工会連合会が
平成11年(1999年)8月に
国分寺で開催した
「創業支援セミナー」への参加です。

これが、
2003年のソニー早期退職、
会社設立へと自然につながります。

現在では、自分自身が
創業体験セミナー
その他のセミナーを
開催する立場に変化していますが
今となっては懐かしい思い出です。

私が在籍した
古き良き時代のソニーは、
社員教育に対する環境が非常に良くて

商品企画、設計製造、
原価管理、お客様対応等
起業に必要な多くの事柄を
経験し、学ぶことが出来ました。

唯一経験していないのが
広告、営業、接客です。

そのせいで、
起業後に一番苦労し
勉強を必要としたのが
マーケティング&広告、
営業、接客です。

キャッシュフロー経営に重点をおき、
自分自身でキャッシュフローを
管理できています。

これはソニー時代の経験が
大いに役立っています。

もちろん経理の専門家ではありません
仕分け、記帳、税務は
プロの方にお願いしています。

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5)創業・起業に向けた決断

最初の決断 :高校進学
当時、奄美大島を離れての高校進学は、
ほとんどが、富裕層の子供に限られていた
時代です。

貧乏にもかかわらず、
地元・奄美大島の高校でなく、
400キロも離れた鹿児島の
高校へ進学しました。

この決断の実現へ向けて、
両親、特に母親を説得し、
最終的に両親の同意を
得ることができました。

当時の我が家の経済状況を考慮すると
厳しい選択だったと、感謝しています。

中学卒業と同時に家を離れ、
まるで異なる寄宿舎生活に
身を置いたことで
気付いた時は、過去を断ち、
生き方がリセットされていました。

一番の収穫は、
難易度の高い高校進学で無く
比較的、難易度の低い高校進学でしたが
結果として、トップグループに属して
人間が大きく成長できる体験をしました。

この小さな成功体験の高校生活は、
将来へつながることになります。

2回目の決断 :ソニー入社
当時、専門学校の講師をしており、
私が担任していた卒業生(十数名)の
ソニー入社を陰から支えました。

教え子の卒業生がソニーへ入社した後、
数ヶ月遅れて、私自身が
ソニーへ入社しました。

ソニー入社の前、
中途採用の試験を5社程、受けました。
試験の結果は、5社全て合格できました。

一番気に入った、
ソニーへ入社することを決めました。

現在に至る、私の人生のほとんどを
ソニー入社が決めたと、言っても
過言ではありません。

私の性格の、一つは
自分本来の生まれつきのもので
奄美大島が育ててくれた穏やかさです。

もう一つは、
サラリーマン時代ソニーで鍛えられた
チャレンジ精神です。

時には、
自分自身の中で葛藤する
二つの性格があります。

3回目の決断 :起業
2003年6月、ソニーを早期退社し
サラリーマンを卒業しました。

同年7月から
ビジネスの創業・起業と
3回目のチャレンジのスタートです。

創業初期の売り上げの少ない
非常に苦しい時期を除くと
年を重ねる毎に、
楽しさばかりが増して行く
起業後の人生です。

2013年に、10周年を向かえ
2014年から更に楽しい
新しいページを重ねています。

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4)髭のサラリーマン(ソニー在籍中)

起業後に出会う多くの方から
「ソニーを退職して髭をはやしたの?」と
良く聞かれます。
ソニー時代
 1991年、東京クリエイション大賞授賞式(ソニー在籍中)
 左〜 私、大賀社長、同僚、同僚

私が髭をはやした時期は、
ソニーへ入社まもない
新入社員時代です。

最初、上司から何度となく
髭を剃るよう進められました。

そこで私は、
上司に髭を剃れと言われない為に
どうすれば良いかを考えたのです。

考え抜いた結論は、
他の人よりいつも10%程、
余分に仕事しよう! です。

具体的な行動は、
他人より1〜2時間程、早く出社し、
仕事のスタートを1〜2時間、早める事です。

同僚が出社する頃
私のエンジンはフル回転で動いていました。
これを、ソニーを退職するまで
25年間、継続しました。

髭を剃るまいとの考えで
スタートした決断と行動が
仕事を楽しく前向きにやる
原動力に変化しました。

そのかいあって
25年間、一度も剃ることなく、
髭のサラリーマン生活を過ごせたのです。

しかし、本当に偉いのは、
髭のサラリーマンを許す懐の広さ
ソニー(盛田さん、井深さん)の社風と
チャレンジ精神溢れるカルチャーです。
いまでも感謝! 感謝! です。

私のような性格の人間が
もしソニー以外の会社に入社したら
考えるだけで
人生、真っ暗です。

取引先など民間会社に対しては
余り問題ないとしても

一番、厄介なのは
官庁への訪問、
官庁業界団体の会議出席等です。

まわりの関係者は、
私の容姿「髭のサラリーマン」に
いつもビックリしながらも
親しみを込めて「ひげの前川」と
呼んでくれました。

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3)ヒッチハイクと高校・大学生活

1960年代?に
逃亡者なるテレビドラマがあり
刑事の追跡を最後の土壇場で振り切って
逃亡に成功するストーリーが
毎回、最後のクライマックスでした。

この逃亡シーンにおいて
よくヒッチハイクが描かれていました。。

鹿児島で過ごした高校時代に
無線通信士、無線技術士の
試験が熊本で行われおり
鹿児島と熊本間を
年に数回以上往復していました。

いつの日からか
汽車(有料)に乗らずに
トラック等をヒッチハイク(無料)して
往復するようになりました。

私が始めた
鹿児島と熊本を往復するヒッチハイクは、
交通費が小遣いに化けるメリットがあり
瞬く間に学校の多くの友人に
流行ってしまいました。

たまりかねた学校側は、
ヒッチハイクの禁止令を
張り出しました。

高校1年の夏休みに、
若い高校の先生(助手)と二人で
九州一周のコースを
熊本、福岡、大分、宮崎、鹿児島の順に
約1週間程かけて、
ヒッチハイクをしたことも思い出です。

更に短期大学に進学し
神奈川県川崎市にいた
大学1年の夏休みに
川崎を出発し、北海道まで往復する
ヒッチハイクをしました。

このヒッチハイクで
多くの親切な方に出会い、
車の同乗だけでなく、
自宅へ招待して食事、
お風呂のおもてなし等
とても親切にして頂きました。
大変お世話になり
ありがとうございました。

*ヒッチハイク:手を上げて、通行中の車に無料で乗せてもらう。
*高校は、当時(昭和43年)鹿児島県谷山市にあった
 鹿児島電子工業高校で、現在の鹿児島情報高校です。

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2)感情・感性の芽生え ファッション・音楽

2006年1月にNHKで放送された
「エルビスプレスリー特集」を見て
よみがえった記憶を書きます。

中学生の頃、
「ツイスト」が流行っていました。
レコードを聴くだけでは飽き足らず
友達の家でレコードをかけて
一緒に踊り、楽しんだ
記憶があります。

更に、よせばいいのに
今で言う「洋服のリフォーム屋」さんに
頼んで、学生服のズボンを
ラッパ・ズボンにリフォームしました。

このラッパズボンですが
不思議に、学校から
咎められる事がありませんでした。

いまにして思うと
「エルビスプレスリー」の影響による
ラッパ・ズボンでした。

他に、「禁じられた遊び」その他
ギター演奏を幾度と無く練習しました。
しかし、素質がないので、
うまく弾けるようになれませんでした。

最初に買ったレコードが
橋幸夫の「恋をするなら」で
母親は、息子が急に
不良少年になったと感じて
ショックを受けていました。

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1)ラジオ少年

小学校の6年から中学にかけて、
理科や科学が大好きな少年でした。

いつのまにか、電波を捕まえて
音声・音楽が流れてくる
ラジオに興味を覚えてしまい。
ラジオ製作に熱中することになります。

ラジオ製作に使用する部品を
奄美大島から東京の秋葉原へ
よく注文していました。

現在のような宅配便も無い時代
注文した部品は、
1ヶ月以上かかって届くのですが、

それが待ちどうしくて、
郵便が配達される時間帯に
何回も確認した記憶があります。

一月遅れで届く
「初歩のラジオ」の雑誌を読んで
ラジオ製作のアイデアを考える
少年時代でした。

ラジオ製作の延長で、
高校で電子工学を学んだことが
短期大学への進学につながり
後に、ソニー入社する事になります。

ラジオ製作の延長上にあった興味は、
アマチュア無線です。

一戸建てのマイホームを手に入れると、
少年時代の夢だった、
アマチュア無線用の鉄塔を建て、
下手な英語で海外との交信に
夢中になった時もありました。


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